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Sunday, February 15, 2004

濡衣塚

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「濡れ衣」とは無実の罪の事でよく使う言葉だと思います。その由来の一つが地元にあるとは知りませんでした。
その昔、継母に漁師の衣を盗んだという罪をきせられて父に殺されてしまった春姫と呼ばれる娘が、父の枕もとに立
って無実を訴えたという話です。実際にそのような事件があったのか、伝説なのかは不明ですが、康永3年(1344年)に作られた石碑(供養塔)が福岡市博多区の御笠川にかかる石堂橋という橋のたもと残っています。(写真左)

右の写真はその説明書きを写したものですが次のように書かれていました。

福岡県指定有形文化財(考古資料)Prefectural Designated Cultural Property
康永三年銘梵字板碑
STELE WITH ENGRAVEMENT OF "THIRD YEAR OF KOEI(1344)" IN SANSKRIT LETTERS
聖武天皇の頃、継母に無実の罪をきせられて死んだ筑前国司の娘を供養した墓と伝えられており、「濡衣濠」とよばれています。
この石碑は、板碑と呼ばれる中世の石造物で、玄武岩の自然石を用いています。高さは約165cmで、梵字が正面3箇所に太く刻まれています。最上段は大日如来(バン)、右下が宝幢如来(アー)、左下が天鼓雷音如来(アク)を表現しています。康永3年(1344)の銘が刻まれており、南北朝時代の板碑であることがわかります。
この板碑は、本来は聖福寺の西門近くにあったといわれ、江戸時代に御笠川の東に移されました。そして、現在の場所へは御笠川の河川改修に伴って、2001(平成13)年に移築されています。
2002年3月
福岡市教育委員会
The Board of Education of Fukuoka City
みんなの文化財を大切に

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